丸山千里博士の経歴と嫁、偉大な子供達について【世界仰天ニュース】

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丸山千里さんは、有名な「丸山ワクチン」を生み出した事で話題ですが、放送された「世界仰天ニュース」で、そのひたむきな「生き方」「情熱」に心打たれた方も多いと思います。

最近では、「ドクターX」「コードブルー」「コウノドリ」等の医療に関連するドラマが話題になっていますが、丸山千里博士の話は、ドラマでは無くて実施に起きた事だと言う事に驚きますし、魅力を感じますよね。

 

皆さんどうも!ちゅるりんです

ちゅるりんのお父さんは、大腸ポリープで大腸がん手前、お母さんは、乳がんで胸全摘、おじいちゃんは、胃がんで何割か切除していますので、丸山千里博士の「丸山ワクチン」がもし、正当な評価を得る事が出来ていたら、今の世の中はどのように変わっていたのだろう?と強く感じます。

 

小林麻央さん、今井雅之さんの事も有りますので、丸山千里博士の努力や苦労の話は、色々な意味でちゅるりんには衝撃的過ぎました。

今日は、丸山千里博士の経歴とお嫁さん、子供について気になって眠れそうにありません!

 

少し調べましたので、勝手気ままに解説させて頂きます!

 

丸山千里博士の経歴とお嫁さん、子供について

1901年に長野県諏訪郡にお生まれになり、金沢尋常小学校、豊田尋常小学校尋常科、富士見金沢組合立富士見高等小学校、日本中学校(現・日本学園中学校高等学校)を卒業されています。

「高等小学校って何?」と思う人も多いと思いますが、明治維新から第二次世界大戦前頃には、4年通う「尋常小学校」と「高等小学校」が有り、両方で8年通う必要が有ったみたいですね。

 

尋常小学校は、義務教育、高等小学校は、義務教育では無かったと言われていますので、現在の小学校とはシステム等が大きく違う印象ですね。

1922年に日本医科大学予科、1928年に日本医科大学を卒業されています。

 

日本医科大学卒業後は、東京帝国大学で医学博士を取得されています。

有名な「丸山ワクチン」は、1944年位から研究が始められますが、研究当時は、「結核ワクチン」として研究されていましたが、「がん」への有効性に注目されました。

 

1964年頃から、がん治療に「丸山ワクチン」を本格的に採用したと言われています。

1947年頃、日本医科大学皮膚科学教室8代教授、1968年頃、日本医科大学付属病院長に就任されています。

 

1969年に定年退職され、同時に日本医科大学の名誉教授になられます。

その後、日本医科大学内に付属ワクチン療法研究施設を創設し、所長に就任され、「丸山ワクチン」の研究が進められて来たと言われています。

 

1974年頃には、前学長が辞任された事により、半年間、日本医科大学学長にも就任され、90歳の時、日本医科大学で息を引き取られたと言われています。

お嫁さんは、「日本野球の父」と呼ばれた、早稲田大学野球部創設者の安倍磯雄さんの娘さんで、「夏」さんと言う方です。

 

長男は、ソニーレコードの代表取締役、丸山茂雄さん、次男は、「丸山ワクチンとがんを考える会」の事務局長、丸山達雄さんです。

ソニーレコードの初代社長は、大賀典雄さんで、丸山千里さんの姪の旦那様です。

 

素晴らしいお父様の背中を見て育ったと言う感じで、今の日本の基盤と作って来たような方ばかりですね。

繰り返してしまって申し訳無いのですが、「丸山ワクチン」の今後にも期待してしますし、丸山千里さんの素晴らしさが、少しでも多くの方に伝わっていくと良いですね!

 

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